生きていくのって大変だわ
最近よく考えることがある。
人はなんのために生きているのだろうか、と。
混沌の時代に突入している。
よく「私たち人間は生きているんじゃない。生かされているだ」という言葉を耳にするが、正直あまりピンときていない。
人間レベルが低すぎる。
生きるために食べるのか、食べるために生きるのか。
生きるためにお金を稼ぐのか、お金を稼ぐために働くのか。
どれも間違いではないと思う。人によって目的が違って当然だ。しかし私はその答えが見えなくなっている。
はぁ、、、。
夢は現実の穴埋め
私が中学生の頃、20歳の女性は異様なくらい大人に感じた。
けれど、いざ自分が20歳になってみると、自分が思い描いていた人物像からはだいぶかけ離れていた。
私が20歳の頃、30歳の女性がとてつもなく大人に見えた。月収40万で何不自由なく安定した生活を送り、平日は仕事に休日は趣味に没頭。さぞキラキラした生活を送っているのだろう。私は、そんな風に妄想していた。
しかし、いざ自分が30歳になってみると、絶望的なくらい自分自身が幼く感じ、想像していたものとはえらく差がある。
10年の月日が流れても、本質は全く変わっていないのだ。
私は大学や専門学校へは行かずにそのまま就職した。
数字だけを見れば社会人歴は割と長い。
だからと言って仕事がバリバリできてバンバン稼いで貯金もしっかり。老後の心配は一切なし!みたいな快適ライフを送っているわけではない。
毎日毎日プロとは一体何なのか、仕事ができるとは一体なんなのかを考えながら、きゅうりに塩をつけて食べている。
最近は、グラノーラに苺とバナナを乗せて食べるのがマイブームだ。
絶えず努力し続けなければならない。
時間を惜しまずコストを惜しまず、睡眠時間を削り、食事の時間を削り、それでも手に入れたいものがあるのだ、私には。
けれど、朝方5時にベッドに横たわり天井を見つめながらふと思う。
「生きていくのって大変だわ」「これはいつまで続くのだろう」と。
今を全力で生きるしかないのだろうか
結局、5年後10年後の未来の自分を造るのは今の自分であって、自分の可能性は自分で切り開くのだ。
今後の未来は、今現在の自分の行動、思考にすべてかかっているのである。
昔は努力するのが嫌いで、働くことも嫌いで、継続するこが苦手で、休日は何も考えず、ただぼーっと家でゴロゴロするのが大好きだった。
そんなグータラ生活をこよなく愛していた私だったが、ご飯を食べている時も、スーパーに向かって歩いている時も、今日は何を食べようかと献立を考えている時も、電車に乗っている時も、お風呂で髪の毛を洗っている時も。
気が付けば常に、「どうしたらもっと面白い記事を書けるのだろうか」「どうすれば長く読み続けられる良質なコンテンツを作れるのだろうか」。どうすれば、どうすればと、ずっと仕事のことばかりを考えている。
それは、何の取り柄もなく無能でたいしたスキルもない自分の無力さを毎日毎日痛感し、その現実を突き付けられる度に「負けたくない」「本物になりたい」「そこらのクソみたいなライターと同列にはなってたまるか」。そう強く感じるからだ。
老体に鞭を打ってでも、点滴を打ってでも、ニンニク注射を打ってでも頑張れるのは、適当にあしらわれ、急ぎの原稿チェックを後回しにされ、実力がなければ生き残っていけない、フリーランスという厳しい状況に置かれてはじめて、自分がいかにちっぽけな存在なのかを思い知らされたからだ。
私はもの覚えが悪いうえに、要領も悪い。
仕事ができるかできないかで言えば、明らかにできない方に分類される。
それでも、はじめたからには上を目指したい。
仕事せな、、、。