尽くす女と尽くされる女
この世の中には、尽くす人と尽くされる人2種類の女性がいる。
自分のことをいつも最優先してくれる、常に自分中心に考えてくれる、自分の望みを叶えようとしてくれるなど、尽くされ方は人によって違えど、尽くされるのもある意味ひとつの才能だと思う。
相手に見返りを求めることと愛情は違う
尽くす=慈愛、依存=見返りだと言われるけれど、必ずしもそうとは限らない気がする。
自分が特別だと思う相手に依存しているからこそ「この人の役に立ちたい」「この人のためだったら自分ができることなら何でもしたい」と思えることだってあるし、大切な人には常に気持ちよい環境を提供していたいと思う。(私は)
多分、依存が見返りを求めた愛情だと言われてしまうのは、「こんなにしてあげてるのになんで?」って相手に過剰な期待をしてしまうから。
見返りを求めてしまうと「これだけあなたのためを思ってるのになんで?」って腹が立つから、自分の努力は報われると思うのは危険が気がする。
「ただ単に自分が好きでやってるだけ」という気持ちこそが、相手を一途に思うということなのではないのかなと、最近は思う。
相手が幸せならそれでいい
人は誰しも自分の価値を認めて欲しい、必要として欲しいと思うもの。
そう思うのはごく自然なことだけど、自分が必要としている人や大切だと思う人から必要な人材だと思ってもらえる存在になりたいなら、自分にできることを一生懸命やるのみ。
ただし、相手のニーズを読み間違えると単なるお節介になってしまう。
「これをしたら喜んでくれるだろう」「これをやったら褒めてくれるだろう」と過度な期待をするのは、単なる自己満に過ぎないし愛情の押し付けな気がする。
自分が思うことが正しいとは限らないし、必ずしも相手が求めていることだとは限らない。
大切なのは、常に相手の立場に立って考えることだと思う。
相手の立場に立って考えられるようになると自然と物事に感謝できるようになる
冒頭で尽くされるのもひとつの才能だと言ったけれど、「何かをしてもらって当たり前」「やってもらって当たり前」と思うようになってしまうから、感謝の気持ちが薄れていくような気がする。本人にその意識はなかっとしても。
相手の思いを汲み取る努力をしていると、自然と物事のありがたみをより強く感じられるようになると思う。
見返りを期待せずに努力できる人って素敵だなぁとつくづく思う今日この頃。