これから定期的に10分以内で日記を書くことにしました。(テンポとか構成力が身につくかなって思ったから)
潔癖症の人あるあるは網羅していた青年期
僕は超がつくほど潔癖症だった。
家族と鍋を食べるときは自分だけ小さい鍋で分けてもらっていたし、自宅以外では絶対トイレを使わなかった。
小学生のときに行ったハイキングでは、山に設置されてる仮設トイレを使いたくないから、迷うことなく漏らしたこと。(出どころのわからない菌に触れるくらいなら、自分の菌にまみれていたい)
あとは小学校の頃、プールに入ることができなかった。不特定多数の人間の皮脂や汗が染み出している水に入るのが理解できなかった。(皮脂染み出し型プール)
そういうと「海は大丈夫なの?」って聞かれるけど、海なんかもっとダメだろう。だって魚やクジラは海中で死んでそのまま漂ってるわけだし、普段から糞尿を垂れ流してるわけで。海は不衛生の極みだと思う。(水泳を避けていたので、未だに平泳ぎしかできない)
言わずもがな、温泉も入れなかった。お湯は汚れがよく落ちることを知っているから。
1日の疲れを癒し、体の汚れを落としてサッパリするのが温泉なのであれば、逆を言えば、おっさんたちの1日の汚れが漂う、垢まみれのお湯が温泉だろう。(本当にごめんなさい。今はそんなこと思ってないし、克服も兼ねて週に1回は通うことにしてます)
見ず知らずの人と同じお湯に浸かるなんて、当時の僕からすれば自殺行為だった。ホテルの部屋についているバスタブに入るのだって躊躇しているくらいなのに。
最近、流行りのサウナだって本当に苦手だった。知らないおっさんたちの汗が蒸発し、大気中に充満している空間。むせ返るような呼吸のしづらさは、本当に熱気や湿度のせいなのだろうか、実はおっさんたちの汗が蒸発して鼻腔に纏わり付いているからじゃないか、とか本気で思っていた。
そんな僕も今では普通に温泉にだって入れるし、人が食べかけたパンも普通に食べられるようになった。
それどころか、犬のフンを素手で鷲掴みにできるまでに成長した。(成長と呼べるのかはわからない)
というわけで今回は潔癖症に悩んでいる同士たちの力になればと思い、僕がどのようにして潔癖症を克服したのかを紹介していく。
その方法はいたってシンプル。
そう、荒治療だ。
一般的に「荒療治」の誤りと見なされる。「荒療治」は苦痛を伴う大胆な治療や、物事を良い方へ向かわせるための抜本的な処理を意味する語。
僕は人生で2回の荒治療を受けた。(誤用でも使っていく)
潔癖症を治すには
1度目は、震災のとき。僕は人生で3回被災している。
の計3回だ。
幸い僕は大事には至らず、今もこうして生きてる。(家は半壊したけど)
しかし被災地ではトイレはもちろん、きれいな寝床で寝ることはできない。ともすれば、潔癖にこだわっている暇はなくなるのだ。昔の僕は清潔さを保たなくては死ぬと考えていたが、そんなことはなかった。
東日本大震災のときは大変だった。馬の死体をどかしたり、腐敗した何かの肉を撤去したりする必要があった。そのあとも風呂に入れないなんてザラだ。爪の中に腐った肉のようなものが入り込んでたりする。
でも僕は死ななかった。蛆虫がうごめいているのを間近に見ても死ななかったし、人のウンコを取り除く作業をしても死ななかった。
そこで僕は少し成長した。でも日常に戻れば、すぐに潔癖症に戻った(少し改善されたけど)。たぶん震災という体験は、どこか現実味を帯びてなくて、夢の中にいるような感覚だったのだろう。
2回目の荒治療は、タイにいたときだ。
タイ奥地ではトイレットペーパーでお尻を拭くことを許されていない。(場合が多い)トイレットペーパーないから。
便座の隣に置いてあるバケツから水を救って尻にかけるのだ。人によっては素手で擦りながら水で流す。そう、地獄である。
バケツの中の水にはボーフラみたいなのが浮いてたりする。そんな水で尻を洗ったら、肛門から虫が入るんじゃないかと本気で心配した。(結局そのときは、自分のインナーシャツを引きちぎって拭いてことなきを得た)
そんな環境にいると一週間もすれば、本当にどうでもよくなる。
さらにいうと僕は、とある事情で東南アジアの山奥で少しサバイバルしたことがある。
そのとき、森の中で生き延びるためにセミを捕まえて食べたり、道に生えてるノビルみたいな草を食べた。(後から聞いたが、セミは生で食べると寄生虫が危ないらしい)
このように少し非日常な時期はあれど、日々の生活として不衛生な環境に身を置くことは、潔癖症の改善に役立つ。(らしい)
オススメ!(ここで10分)
ちなみに、虫ってだいたい熱通せば食べられる。
ここらへんはだいたい美味しい。
カメムシも
舌がビリビリするけど、火を通せば食える(体にいいのかは知らない)
山で迷ったらまずは虫を確保したほうがいい。