中野弥生瓦版 by Meganedia

中野富士見町界隈の情報を発信します。

結局、問題は自分自身の中にあるんだなぁの話

「逃げるが勝ち」を都合よく解釈していた20代

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嫌なことから逃げ続けて数十年。嫌なことがあったらまず逃げるという、完璧なまでの逃げクセが体に染み付いているゴミ人間な私は、これまでずっと楽をして生きてきたと思う。

というか、自分が逃げていることにすら気づいていなかった。むしろ、常識人とさえ思っていた。

そんな私が「このままだと本当にやばい」と自分のクズさを自覚し危機感を持てるようになったのは、ある人との出会いがあったから。

話すと長くなるので割愛するけど、親戚からも親からも見放されているゴミ人間な私を拾って、厳しくしてくれるその人に対しては感謝しかない。私にとって、この世で一番大切なかけがえのない存在なんです。

嫌なことは考えない

「◯◯さんなら、こんなこと当たり前にできる」と誰かと比較されることが、嫌で嫌で仕方がなくめちゃくちゃストレスだった。

普通なら、そう言われたら「だったら負けないように頑張ろう」と前向きな姿勢に切り替えて頑張るものだと思う。

けど、現実から目を背け、頑張ること、努力すること、考えることを完全に放棄していた私は、「だったらきちんとしたい人ときちんとすればいいじゃん」と切り替えることが、苦しまずに済む一番の解決方法だと思っていた。

それが間違えだったと気がついたのは、つい最近になってから。もう31なのに、みっともな。。。

考えることが面倒くさい

私は昔から、わからないことはすぐに人に聞いていた。「これってどういう意味だろう?」と思っても絶対に自分で調べなかったのは、人に聞く方が楽だったから。

思い返してみると、よく色んな人から「自分で調べなよ」と言われていた気がする。自分で調べないからすぐに忘れるし、情報として自分の中に蓄積されていかないので、発言もどこか薄っぺらい。

そもそも「何でだろう?」という疑問すら持たずに生きてきたので、「調べよう」というアクションすらない。だから、人と会話をしていても自分なりの考えとかが一切なく、「そうですね」とか生産性のない切り返ししかできない。

占い師で解決した気になる

そんな私が次にとった行動は、占い師に相談するというゴミみたいな方法。嫌なことがあると占い師に電話をして話を聞いてもらうだけで、何となく気持ちはすっきりする。

けど、原因と向き合っているわけではないから根本的な解決になっていない。だから結局、また同じことの繰り返し。

それでまた叱られて電話をかけて借金が溜まるという負のループに陥っていた。今思えば、何であんなくだらないことにお金を使っていたんだろうと不思議に思う。

人に相談したって、自分自身が問題とちゃんと向き合わなければ何も変わらないのに。

自分がどう思うかじゃなくて相手がどう思うか

ある日、友達が待ち合わせ時間よりも早く私のマンションにやってきた。けど、私は別の場所にいたから「寒いから、近くのファミレスで待っててもらってもいいかな?あと@@分くらいでは着けると思うんだけど、待たせてごめんね」と伝えた。

すると相手は「大丈夫。外で待ってるね」と言う。いやいやいや。早く着たのはそっちやないかい。何で私が気をつかわないといけないんじゃい。

ただでさえ早く着た友人を待たせたことに申し訳ないと感じているのに、ここから家まであと@@分かかるのに気をつかっちゃうじゃん。。。

そして思う。私は今までこういうことをしていたんだなと。自分がいくら平気だったとしても、「お腹空いてるからなにか食べてるねー」とか「その辺のカフェでコーヒー飲んでるから大丈夫だよー」とか、相手に変な気をつかわせないようにしようという配慮が一切なかった。自分さえよければそれでいいと思っていた。

もしかしたら仕事かもしれない。買い物の途中かもしれない。相手の状況を一切考えず、「家にいない相手が悪い」という傲慢な気持ちが「大丈夫。外で待ってる」という言葉につながるのかもしれない。

自分が大丈夫かどうかではなく、相手が大丈夫かどうか、どう思うかの方がよっぽど大事なのではないか。。。何で今まで、そんな当たり前のことに気がつかなったんだろう。

この一件以来、自分のことよりも相手のことを考えようと強く意識するようになった。それができているのかどうかもまた、相手が決めることなのだけれど。

嫌いで当たり前だよなぁ。

今までは「お前のこと超嫌い」「大嫌い」「キモい」「みんなお前のこと嫌い」と言われると「何でそんなことを言うんだろう」と悲しい気持ちになっていたけど、「そりゃそうだよなぁ。でも、これ以上嫌われないように気をつけよう」と思えるようになったのは、これまでのメンヘラくそ女だった自分からは考えられないことだと思う。

家に帰った時にふと思い出して泣くこともあるけど、それは決して後ろ向きな涙ではないことは確か。

それに、いくら「嫌い」とか「キモい」と言われたとしても、その人だからついていきたい、一緒に頑張りたいと思う。だからこそ、せめて相手が気持ちよくいられるように明るくいたい。

もし逆の立場で考えたとき、何か言う度に落ち込んだり、不機嫌な態度をされたら一緒にいて疲れるから、できるだけ相手には気持ちよくいて欲しいなと思う。

嗚咽しながら目の前で泣くこともあるけど。。。成長速度が遅すぎて、がっかりさせてばかりで本当に申し訳ないなと思うけど、その人のために頑張りたいからこれからも見ていてほしいなと思う。

「言ったことは書いてあるけど言いたかったことは書いてない」

雰囲気を文字にするってどういうことだろうか

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先日、取材でお世話になったある人と食事をしていたとき。お酒も飲んで程よく気持ちよくなったところで「私が書いた記事、正直どう思いましたか?ちゃんと◯◯さんの伝えたいことを文字にできていたでしょうか、、、」と聞いてみた。

というか、お酒が入っていなかったら怖くて聞けなかったかもしれない。

う〜ん、そうだね、、、としばらく考え込んだあと、慎重に言葉を選びつつも思い切った様子でこう言った。

「確かに私が言ったことは書いてあった。けど、本当に言いたかったことは書かれていなかった」と。

この言葉がスーッと入ってきた。自分のなかで不思議なくらいに腑に落ちた。今までたくさん取材をさせてもらってこれまでいくつも取材記事を書いてきたけど、正直いつも心のどこかで「これでいいのかな?相手が本当に言いたかったことをちゃんと伝えられているのかな私は」とモヤモヤしていた。

でも、そのモヤモヤの原因が一体どこにあるのかいまいちわからなかった。

雰囲気を文字にする

その人の言葉でハッとした。私が今まで書いた記事というのは、単なる音声のコピペだったのではないかと。

相手が言った言葉にとらわれ過ぎて、取材時に相手が醸し出す雰囲気や想いを言葉としてきちんと伝えられていなかった。

大事なのは相手が言った言葉ではなくて、その場のリアリティや雰囲気もきちんと文字にすることだと、その人は教えてくれた。

それができていないから、私の書く文章はどこか平坦で臨場感がないのだ。相手の想いを汲み取り、相手が言いたかった以上の言葉に翻訳する。

記事を読んだ相手は「そうそう、私はこう言いたかったんだ」と気づくきっかけにもなったりするんだと。

最初から記事の構成をガチガチに決めすぎるのもよくないのかな。「あれもこれも聞かないと!」と考えてしまって、せっかく温まった雰囲気がまた振り出しに戻ったりしてしまうのは、私の雰囲気づくりのなさが原因だ・・・。

もっと取材頑張って雰囲気を文字にできる、読んだ人もその場にいたかのような臨場感のある記事を書けるようにならねば!!

それも大事だけど、まずは仕事と100%真剣に向き合おう。私にはその気持ちが足りないのだと思う・・・。そしてもっと人のことを想える人になろう。うん。

コールドリーディングはもう引っかからないと決めた

詐欺師やマジシャン、占い師がよく使うコールドリーディング

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私は以前占いにハマっていて、何か嫌なことがあると占い師に相談していた。人は、嫌なことや悩み事を人に聞いてもらうだけで、なんとなく心のモヤモヤが晴れてスッキリする。

しかも、「あなたはすごく優しい人じゃない?人が困ってるとすごく親身になってあげるでしょ?」とか言われると、「あぁ、この人は私のことをわかってくれてるんだ」と錯覚してしまう。

これこそが、占い師にハマってしまう原因なのだろう。それに、占い師に相談をしたからといって、今抱えている問題が解決するわけではない。

要は、「うん、うん、そうですね」と話を聞いてくれる人が欲しかっただけなのだ。

曖昧な質問を投げかけて誘導するコールドリーディング

「あなたの家の近くに商店街ありませんでしたっけ?」

「あなたはすごく優しい人です。けど、まわりの人に気を遣いすぎて疲れてしまう部分もある」など曖昧な聞き方をしたり対極的な質問を投げかけて、相手を誘導する。

そうすると人は「この人なんでこんなに私のことわかってくれてるんだろう」「この人すごい」と相手を信頼する。

こうしたコールドリーディングという心理テクニックによって、相手を操ることができるようになるのである。

これは、仕事や恋愛でも応用できる。ということをあるドラマを見ていて思いました。今までこんな手法に騙されていたなんて、なのでこの先も絶対に占いはやりません。

 

やりたい仕事をできている人なんてほんの一握りしかいない

自分のやりたい仕事とはなんだろう

仕事柄いろんなライターやライターになりたいという人と会う機会があるのだけれど、みんな口を揃えてこういう。「私、文字を書くのがすごく好きなんです」と。

だけど私は、文字を書くのが好きなわけではないし、ライターを目指していたわけではない。ただ、人に何かを伝える手段が私には書くことしかないと思ったので、やらせていただいている。

ライターは飽和状態で、どこのメディアも「いい書き手」を探している。営業に行くと「いいライターさんって本当に少なくて」とか「ライターと名乗っているのに、実は未経験だったりして、なかなかいいライターさんに出会えない」という話をよく聞く。

いいライターってなんだ?

『いいライター』の定義はさまざまであるが、共通しているのは自走力があるかどうか、ということ。

テーマとアウトラインだけ決めて外部ライターに発注をかける。「こういう要素を足した方が面白いんじゃないか」「こういう質問を入れてみてはどうか」「こういう見せ方をしてはどうか」など、メディアのテイストや企画の趣旨などを加味したうえで、自分であれこれ考え提案してくれるライターのことを彼らは『いいライター』と呼んでいる。

平気で納期を踏み倒していた私

相手の手を煩わせずいかにスムーズに、求められている以上のクオリティーのものを出せるか。というのがどれほど大事なのかということをこの1年で学んだ。

私は、納期に間に合いそうもないという連絡すらせず、平気で納期を踏み倒し、写真もミスって再撮になり、取材先へのアテンドすらスムーズにできず、どれだけ迷惑をかけたのだろう。

間に合わないと思ったらすぐに連絡を入れて、マックス何時までならデッドラインを伸ばせるのか相談するなり、今の状況を伝えて代案を提示するなり、やり方は色々あるはずなのに、私はいつも「すみませんでした」と謝ればいいと思っていた。

こんな人間と仕事をしたいと思う人はゼロだと思う。私が逆の立場なら大事な仕事をお願いできないし、信用できない。

やっぱり、何事においても時間を守るというのはとても大切なことなんだと改めて感じる。

「やりたい仕事」とか「やりたいこと」とか自分の夢や願望があるのはとても素敵なことだと思う。

けど、私は、自分のやるべきことすらできていないのに「この仕事は単価が低いから」「これはやりたいジャンルじゃないから」と選り好みする資格なんてないんだと感じた。それではー。

心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる

結婚してからずっと手料理しか食べなかった父親

父親を見ていて人は変わるんだな、と思ったことについて書こうと思います。両親は私が20歳を迎えた誕生日に離婚。離婚してすぐ母親は、当時付き合っていた男のところへ行ってしまった。

離婚するまでの父親は、家のことは一切何もせず「男は外で稼いで女が家を守る」という古い考えを持つ亭主関白な人だった。

そんな父親への不満をこぼす母親のことも、いつも不機嫌そうにしている父親のことも大嫌いだった。

ご飯の途中に夫婦喧嘩が起きることも日常茶飯事だったため、家族でご飯を食べることは年に数える程度しかなかった。

そして3つ上の兄も当時付き合っていた彼女の家に転がり込み、私は父と2人きりの生活を余儀なくされた。

そんななか、唯一の心の拠り所は高校のときの友達だけだった。だから、父親と2人の生活は苦痛でしかなかった。

家のことは母親に全部任せきりだった父親は離婚して以降、それまでやっていなかった家事炊事も全部自分でやらなければならなくなった。

しかし、洋服ダンスのどこに自分の靴下やTシャツがしまってあるのか、キッチンのどこに調味料がしまってあるのかさえわからないため離婚してすぐは毎週家の整理をして自分仕様にしていた。

仕事の途中でスーパーで買い出しをして家に帰って冷蔵庫にしまう。ついでにお昼ご飯を作ってひと休みすると、また打ち合わせに出て行く。疲れて家に帰ってきては自分食事を作り、食器を洗って片付けてから床に就く。

そんな生活が数ヶ月ほど続いたある日、今までの父親なら絶対に考えられない行動をとった。

冷凍食品を美味しそうに食べる父親の姿

ビール片手に、冷凍パスタを美味しそうに頬張る父親の姿。今まで手作りの料理しか食べなかった父親からは想像できない光景だった。「今日はピザでも注文するか」という言葉が出た日には雪でも降るのではないかと思ったほど。

それからというもの、父の性格はみるみる丸くなっていった。いつも眉間にしわを寄せて険しい表情だったのに、穏やかな顔つきへと変わっていった。

父親が変わったのはおそらく、家のことを自分でやる大変さを痛感したからなのだろうと思う。その様子を今思い出してふとこの言葉を思い出す。

『心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる』

確かにそうなのかもしれない。心の持ちようで行動も性格も変えられるのだということを感じた今日この頃。親戚を通して話を聞くことはあるが、今のところ母親の所在は不明。

肌荒れのことで頭がいっぱいな話

原因は食生活ではない

肌荒れがひどすぎて死んでしまいそう。人と会う仕事なのに。生活習慣や生活態度は肌に現れると言われているし、このままでは社会的信用を失ってしまう。

今まで炭水化物ばかりだったのを、野菜中心の生活に置き換えて白砂糖も一切とらないように気をつけていたのに、治るどころかどんどん悪化してるやないかい。1日断食して腸内リセットまでしたのになんで?

ここまで肌荒れが続くと、原因は食生活ではなく体にあるのではないかと思ってしまう。肝臓か腎臓か腸か胃に原因があるはず。

お酒も飲まないし、暴飲暴食もしないし、寝るようにしてるし、水分も摂るようにしてるし、食生活も気をつけてるし、なんで?

ということで、白砂糖は控えつつ、あれこれ細かいことを考えるのをやめて、好きなものを好きなだけ食べることに決めました。

それで月曜日に皮膚科に行きます。吹き出物と共存する人生なんて勘弁ならない。みなさんも肌荒れにはお気をつけください。さよなら。

 

女性は自分の父親に似ている人を好きになるって本当ですか

自分の父親に似ている人を好きになる

ってよく言いますよね。「女性は、自分の父親と似ている人と結婚する」とか。そこで思い出してみる、自分の父親ってどんな人だっけ?と。全然そんな気がしない。

私の父親は超がつくほどの潔癖症です。テーブルの上に指紋が残っていたり、シンクに洗剤の泡が残っていたり、IHの上に水滴や油がついているだけ落ち着かなくなるくらいのきれい好き男子。

ガラステーブルの上にホコリが溜まっていたり、コップの水滴が残っていたり、ペットの毛がたった1本床に落ちているのでさえも気になって仕方がない人です。

しかも、お風呂のガラスもいっつもピカピカで、水垢とか歯磨き粉が飛んで汚れているということがまずない。

パンツや靴下もきちんと色分けして収納しているし、ベッドシーツはホテル並みにパリッパリで、掛け布団とか毛布もきれいに畳まれている。

ご飯を食べたらすぐに食器は洗い、お酒のつまみは絶対にそれっぽい器に移してから食べるし、冷蔵庫のなかもいつもきれいに整理されている。

夕食で使った食器やコップは、ちゃんと乾燥機にかけて食器棚にしまってから寝る、というのが彼のルーティーンになっている。

きれい好きな人とガサツな人

そんなきれい好きな人を父親に持つ私も、部屋はいつもホコリ一つ落ちていないほどのきれい好き。ではない。

父親とは正反対に育った私は、一言で言うとだらしがない。部屋の床には、本やら脱ぎっぱなしのスウェット、Tシャツ、ビニール袋やらが常に散乱している。

朝起きてすぐ仕事に取り掛かるので当然、毛布や掛け布団は抜け殻状態になっていて、飲み終わったペットボトルを片付けないまま机の上に放置していることもよくある。

なので、実家に帰ると全然落ち着かない。あるとき、超がつくほどだらしのない友人が、超潔癖人と同棲をした。

ある日彼女が帰宅すると、部屋中に付箋が貼られていたと言う。しかも、何か書いてある。クローゼットに貼られたピンク色の付箋をはがして見てみると、「このシャツシワだらけだよ?」と書かれたいた。

部屋をぼんやりと見渡すと、空のコップが置かれたテーブルの上にも付箋が。「このコップ、昨日の夜使ったままだよ?」。

こわくないですか?その人はとうとう彼の潔癖に耐えられなくなり、性格の不一致ということを理由に彼に別れを告げたらしい。

つまるところ何が言いたいのかと言うと、お互いの歩み寄りが必要なのかなと言うことです。部長とホタルのように。