Meganedia

ライターのブログ

過去の自分を振り返る

「よく考えます」「ちゃんと考えるようにします」

が私の口癖で、その場だけやり過ごせればいいという甘い考えのまま30年間生きてきたけど、結局考えるために何をすればいいのかをまったく考えていないから、いつもいつも同じことを繰り返してしまう。

その度に色んな人を失望させて、身内にも家族にも見放されてしまった。「この人には何を言っても、何を伝えても、何を教えても、結局何も変わらない」と見切るをつけられてしまった。

家族からも見放されてしまった

数年前まで私は、翻訳家の叔母の家に居候していた。

ダメダメな私に「ちゃんと3食食べないとダメだよ、体が資本なんだから」「相手の気持ちを考えられる人になろう」「何か失敗した時は、言い訳しないで素直に謝ろう。怒られるかもしれないけど、嘘をつくのは相手に不誠実だよ」とか、普通の人なら当たり前にできることができていないことを、何度も何度も色々教えてくれた。

けど、当時の私は「うるさいなぁ」くらいにしか思っていなかったので、親身になってくれる相手の言葉にも耳を貸さず、ふてくされた態度をとってばかりですごく傲慢だったと思う。

きっと、というか絶対にそのときにちゃんと言われたことを真摯に受け止めて、変わろうとする努力をしていたら、30にもなってこんなに人に不快な気持ちをさせることはなかったと思う。

結局、何を言っても、いくら言っても変わろうとしない私に「もうこれ以上言っても何も意味がない」と、絶縁されてしまった。

絶縁されたときですら、自分は何も悪くないという気持ちが強くて、「ごめんなさい」のひと言がどうしても言えなかった。

あの時素直に謝ることができていたら、自分が悪かった、相手は自分のためを思って言ってくれている、という感謝の気持ちが少しでもあったら、今も良好な関係を保てていたはずなんだろうな、とよく思う。

自分と向き合うことができていなかった

自分が、いかに非常識でゴミカスなのかを前より少しは自覚できるようになった今、どうして真摯に向き合ってくれる人の声に耳を貸すことができなかったのかを考えてみた。

やっぱり一番の原因は、自分の非を認められていないことだと思う。素直じゃなかったと思う。自分はごく普通の人格を持った常識人だと勘違いしていたことに気づけなかったのは、「あぁ、自分のこういう部分がいけないんだ」と自分のよくない部分と向き合えていなかったことに、そもそも原因があると思う。

誰だってあれこれ細かいこと言いたくないし、怒りたくないし、できれば笑って過ごしていたいもの。

それでも厳しいことを言ってくれるのは、相手に変わって欲しいから、直した方がいいと思うからこそ。それなのに私は、相手の気持ちを考えようとせず、すべてシャットアウトしていた。

その場だけやり過ごせばいい、謝ればいいという考えがまだ抜けていないのは、なぜ相手がそれをいうのか、直すためにどんなアクションを起こせばいいのか、考えることを考えられていないからだと思う。

考えるためには、なぜそうなってしまったのか、そこにどんな感情があったのか、その感情を持ってしまうそもそもの原因はどこにあるのか、人に頼らず自分で考えないといけない。

前は、すぐに占い師に頼ってたけど、それだと何も変わらない。自分と向き合って自分で解決しないと、何も変わらないんだということに、今更気づくなんてみっともない。

けど、それを教えてくれた人には本当に感謝している。

本当に困ってるときに助けてくれる人

親にも身内にも見捨てられて、相手に不快な思いを与えてばかりで、生きているだけで迷惑な、誰からも見向きもされない私を拾ってくれた人は、私が困ってるときいつも助けてくれる。

理不尽なことがあっても、その人だからついていきたい、その人のためだったら何でもしたいと思えるのは、私以上に私と向き合ってくれるから。

でも、その人のそんな優しさに完全に寄りかかって甘えているのは本当に良くないと思う。

一緒に仕事をさせてもらっている以上、受け取るだけじゃなくて相手にも何かを与えられるような存在にならないと、一緒にいる意味がないし、、、。

私は、いきているだけで迷惑で、本当に頭が悪くて、本当にゴミカスだから、せめて相手が気持ちよく仕事ができるように、気持ちよく怒れるように、常に誠実でいようと思う。

どんなにゴミカスでも、どんなに失敗をしても、迷惑をかけても、いつも見捨てずにチャンスをくれる人の幸せのために、少しでも成長したと思ってもらえるように頑張ろうと思う。