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ライターのブログ

ブラック企業とはいったい誰のための言葉なのか

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私はフリーランスの期間が長く、独立前はブラック企業よりも過酷な環境で働いていた。

今は縁があり、ホワイト企業で働いているのだが、側から言わせると今の会社も十分ブラック企業だそうだ。しかし、働いている等の本人からするとまったく悪い会社ではない。社内の雰囲気は明るいし、本当に社内の風通しが良い。わからないことを誰に聞いても、嫌な顔一つせずに懇切丁寧に教えてくれる。ボソボソと話す人はいないし、めんどくさそうに仕事をしている人も少ない。

 

 

一般的にブラック企業というと、「勤務時間が長い」「社内の雰囲気が悪い」「残業代でない」「休めない」「宗教っぽい」という要素が挙げられると思う。この観点から見ると、今の企業は勤務時間は長く、残業代はでない、そして宗教っぽいとブラック企業としては役満である。

 

では、働いている本人達が環境に満足し、ブラック企業と思っていないのに、外野がブラック企業と認定してしまえば、それはブラック企業としていいものなのか。

 

そもそもブラック企業とは誰のための言葉なのか。

 

 

私も働き方にだいぶ偏りがあるので、ブラック企業の判断基準に歪みがあるとは思う。私は高校生の時から、月に休みは2日あるかないかの生活を送っていた。生まれ持っての守銭奴気質なのか、友達とただ駄弁っているお金の発生しない時間が無駄に思えて嫌で仕方がなかった。

 

学校が終わったら美容室でアルバイトをし、20時からは明け方までボウリング場でアルバイト、早朝には新聞配達のバイト。その合間合間でデザインの業務委託を請け負ったりもしていたので、1日の睡眠時間は1時間から2時間ちょっと。学生のうちからサラリーマンと同等の収入は得えるまでになっていた。

 

卒業後は、アパレル事業も行なっている広告代理店に入社。社会人になってからも、年間通して1日休みは2日あるかないかの生活。私からするとこれは普通の生活だったので、ブラック企業に勤めている自覚はなかったが、世間からすれば確実にブラック企業である。

 

朝9時にタイムカードを押し、21時に切る。1分でも遅れようものなら、次の日の朝会で吊るし上げにあう。殴る蹴るは当たり前、飲み会では、新人時代にアバラを何本折られたことがあるかを武勇伝として語り合う。3徹、4轍も当たり前だったし、それをかっこいいことだと思っていた。

 

この会社にいれば、何か大きなことを成し遂げられると誰もが疑うことなく信じていたし、「オリンピック出場している人は、みんなアマチュアだ。アマチュアがあんなに頑張っているのに、プロの俺たちがこのくらいでへばってどうする」が社長の口癖で、本当にその通りだと激しく共感もしてい。(ある経営者の受け売りだったことが判明するのは、少し後の話)

 

この社長の言葉を信じ、私たちは本当にがむしゃらに働いた。見積もりや営業のオリンピックがあれば出られるのではないか、というくらい努力していた。

 

心の中では定時に帰っている企業に勤める人を見下していたし、自分達の方がはるかに優秀だと自負していた。自分たちが努力をしている間にやつらは遊んでいる、そんなやつらに負けるはずがないと誰もが信じて疑わなかった。私を含め、当時の働き方を悔やんでいる同僚は誰一人いない。確認したわけではないが、これだけは胸を張って言える。

 

21時にタイムカードを強制的に切らされるのも、自分たちの仕事進め方に問題があると考えていたし、先輩や上司から殴られるのも自分をこんなにも本気で教育してくれている感動で泣いたことさえある。

 

この話をすると、「社畜根性がすごい」だの「洗脳されている」とよく言われるが、今の自分があるのは、間違いなく「社畜根性」と「洗脳」のおかげだ。自分がフリーランスとして食べていけたのは、他でもなくブラック企業に勤めていたからだと胸を張って言える。

 

 

私にとってブラック企業での経験は、生活の糧になっていて感謝することはあれど忌み嫌う対象ではない。しかし、世間的には「ブラック企業」というのは批判の対象として挙げられることはあっても賞賛されることはまずない。

 

長期労働や、残業が払われないからといって、ブラック企業というレッテルを貼り、ブラック企業大賞受賞などと世間に周知させてしまう。

 

 

 

レッテルを貼られた企業は、クライアントからも疎まれるようになり受注が減ったり、新入社員や中途獲得の機会を失う。家族や周りから、あの会社には入らないでほしいと言われ、本来であればそのブラック企業が合っているはずの人材も入社しづらくなってしまうこともあるだろう。

 

 

もちろん、働きたくない社員を強制的に働かせたり、自殺に追い込んでしまうような企業はもっての他ではあるが、好き好んで、その会社で働いている人間がいることも忘れてはいけない。昔の私のように、自分の仕事環境に満足し、誇りを持って働いている人間もいる。そこで働く人たちの価値観にも少しくらいは配慮してあげてもいいのではないか。

 

そういった過酷な環境でしか得られないことも少なからずあるのではないか。極限まで自分を追い込み、全てを投げ打って仕事に打ち込む期間が人生のうち一度くらいはあっても良いではないか。

 

長くなったが、私が言いたいのは「ブラック企業=悪」という方程式の元、若者の選択の幅を減らさないでほしいということ。超サイヤ人ではないが、自分を限界まで追い込むことで初めて見える景色もあるはずだ。