中野弥生瓦版 by Meganedia

中野富士見町界隈の情報を発信します。

2番目にしかなれない女。2番目にだけはなれる女。

2番目にしかなれない女。2番目にだけはなれる女。

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以前の不倫の話もそうだが、私はいつも2番目の女。

未だかつて、誰かにとっての1番になったことなどない継続的に。

これまで恋愛はしてきたが、それはかれこれ10年以上も前の話だ。

遡ること10年以上も前の高校時代。第一志望だった高校に入学して数カ月が経ち、なんとなく学校生活にもなれ始めた6月のある日。

勤勉で真面目ぶっていた私は、長年悩まされてきたくせ毛をむしり取りたい衝動に駆られてしまった。

いやいや、待て待て。永遠に生えてこないリスクがある。

どうすればいいのかと悩んでいた私のまわりにはくせ毛女子がたくさんいて、彼女たちはこぞって当時注目を集めていた縮毛矯正をかけていた。

「くっだらな」と思いつつも「いいなぁ、、、」と羨む気持ちがあったのは今だから言えることだ。

そこで私も、一世を風靡していた縮毛矯正に手を出したのだ。

これをきっかけに、ある男性からの猛アプローチが始まった。そしてこの恋の始まりが、2番目の始まりだったのである。

浮気と浮気と浮気と浮気

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ヘアスタイルたったひとつで、人の印象が変わるというのをこの時ほど強く感じたことはない。

髪型を変えたというだけで、バスケ部の同級生から熱烈アプローチを受け、交際に発展。

彼の家族とは大変仲が良く、彼がいなくてもよく家に遊びに行ったものだ。

彼抜きで家族とテーブルを囲んで夕飯を食べ、しばらく雑談したあとはコタツで仮眠をとり「○○、21時だよ」という彼の母親の声で目を覚ます。

それから、彼の母親もしくはお姉さんが運転する車で私の家まで送ってもらい「また来なよ」という言葉を真に受けた私は、何の違和感を抱くこともなく当たり前かのように何度も何度も彼の家に出入りしていたのである。

という具合で、今思い返してみると当時からクソスタイルは健在だったようだ。

その彼とは2年近く付き合ったのちに、「ごめん。俺、お前のことLOVEじゃなくてLIKEだわ」と告げられ、終わりを迎える。

あとでわかったことだが、どうやら彼には別の彼女がいたようだ。私はこれに全くと言っていいほど気がつかなかった。

つまりは浮気である。

その後、3年生にあがりまたもバスケ部の男性と付き合った。1年半付き合ったのちに、「○○の重荷になりたくない」と言われ振られる。

あとでわかったことだが、どうやら彼にもまた別の彼女がいたようだ。私は、またしても全くと言っていいほど気がつかなかった。

つまりは浮気である。

2番目という陰謀

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挙句の果てには不倫である。これは2番目の女であるということ決定づけた出来事だった。

なんということなのだろう。

いつも2番目なのだ。むしろ、2番目にしかなれないのではなかろうか。

なぜ、いつもいつも2番目なのだ。

誰かの一番になれる日などもうこないのではないのではないか。

幸せとは一体なんなのだ。

しかし、1番目の時代もあったのだ。ただ気がつかないうちに降格していただけである。

どうしたものか、、、。

 

【前編】過去のコンサートで撮影したアーティスト写真を並べてみた

【前編】過去のコンサートで撮影したアーティスト写真を並べてみた

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以前の記事で、休日は一歩も外に出ず家でグダグダしていた私が、コンサートのときにはまるで別人のようにあちこち動き回る、という話をした。

今回は、それをもう少し掘り下げて過去に行った外タレアーティストのコンサートで撮影した写真を並べてみようと思う。

「なんだよ、自慢かよ」って思うだろう。その通り、自慢である。なんせ、モッシュにもみくちゃにされてポールに脇腹を打ち付けられ、今にも臓器が口から出るような思いで必死におさめた写真の数々は、我ながら実によく撮れている。

Ed Sheeran

この時は、どこのライブハウスだったのかは忘れたが、スタンディングだった。そして私は、開場と同時に全力疾走をして見事、最前列正面をゲットしたのである。

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エドシーランの音楽は割としっとり系が多いため、「さすがにモッシュはないだろう」とたかをくくっていたのだが、開演と同時に押すわ蹴るわ、足を踏まれるわ、肘で頭を殴られるわでまあ散々だった。

そうした過酷な状況でも、撮影を続行するのが私のポリシー。負けてたまるか、モッシュ=コンサートだと勘違いしている馬鹿どもに。

それがこの写真だ。左腕に彫られた、二体の人型らしきタトゥー。

非常に気になり、コンサート中そのことばかり考えていた。

Taylor Swift

私が最も好きなアーティストだ。日本のコンサートは小規模且つステージと客席の距離が異様なほど遠い。これは、海外でいったらセンターステージ最前列から数えて10列目くらいの距離感だ。遠い遠すぎる。

これに耐えられなくなった私は、オーストラリア、ニュージーランド、カナダへと飛び海外公演に参戦。

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ちなみにこれは、Taylorがメインステージから後ろのBステージに移動している最中にゲットした直筆サイン。

自分よりも背が高い外国人たちに埋もれながら、腕が引きちぎれる勢いでマッキーとパンプレットをTaylorに見えるようアピールした。

すると、それに気づいたTaylorが私が差し出したマッキーを手に取り、サインをしてくれたのだ。わぁぁぁぁ。

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T-Partyと言って、選ばれしファンのみが参加できるアフターパーティーがある。ここでは、Taylor本人はもちろん、Taylorの両親、バンドメンバーたちと記念撮影をしたり雑談したりできる場なのだ。

たとえいくら高い金を積んだとしてもこんな経験をできることはまずない。

なんと私、そのパーティーにお呼ばれされたのだ。しかも、Taylor本人から「会いたいからきてほしい」と直々に。わぁぁぁぁぁ。どうやってそのチャンスを獲得したのかについては、私の心の中にそっとしまっておくことにする。妄想ではない、これは本当の話。

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ここでもまた、Mick Jaggerとの2ショット写真に直筆サインをもらうことに成功。我ながらよくやったと自分を褒め称えたい。

ビジネスパートナーは、私がここまでストイックな人間だとは思っていないだろう、うっしっし。

上記はSpeak now Tour

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上記はRED TOUR

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上記はTHE 1989 WORLD TOUR

Katy Perry

Taylorと同じくらい好きなアーティストだ。現在KatyとTaylorはわけあって不仲説が濃厚とされているが、彼女たちの音楽が好きな私にとってはそんなことはどうでもいい。

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私はKatyの世界観がとても好きだ。今となっては世界を代表するポップクイーンなどと言われているが、売れる前の下積み時代は随分と苦労したようだ。

自分が書きたい曲を書けない、歌えない。所属レーベルからは当時人気を博していたアヴリルのようになれと強要される日々。「自分は一体誰のためにここに存在するのだ」「誰のために歌うのだ」と絶望していた彼女を救ったのは、インディーズ時代から彼女を支えるファンの存在だった。

その後彼女はレーベルとの契約を解消し、自分が自分で居られる自分のやりたい音楽活動に注力し、その作品が次第に高く評価されるようになり今の地位を築き上げたのだ。

そうした辛い時期を支えたファンの存在があるからこそ今の自分があると考える彼女は、たとえどれだけ有名になろうともファンへの丁寧なサービス精神はずっと変わらない。

以前、彼女が来日中に滞在しているホテルへと私が突撃したときの話だ。

Katyを待っていると、彼女を乗せた車が目の前に止まった。彼女が車から降りるのと同時に私は、何のためらいもなく「Hi!!」と言って近づこうと試みた。

すると、私を不審者扱いしているホテルスタッフが必死で私を制止し「消えろ!!!!!」と汚い言葉を吐いたのだ。

一瞬ムッとはしたが、そうした心無い彼らの言動には慣れっこだったため、そんなクソ野郎に従う気などさらさらなかった。

が、その様子を見ていた Katyは「お前らが消えろ。お前は下がれ」と言わんばかりにホテルスタッフに鋭い視線を向け、私の元に来てくれたのだ。

サインはもちろん2ショットにも応じてくれた。

アーティストとの2ショットはたくさん撮ってきたが、スタッフの言いなりにならず自分で判断し自らのファンを大切にしようとする、Katyのそのスタンスに胸を打たれた。

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会場の外で出待ちする数百人のファンひとりひとりに丁寧にサインをし、ある時には「2ショットは無理なの。でも、私の写真ならいくらでも撮っていいわよ」なんて笑いながら、サインに応じてくれるのだ。

いちファンとして、彼女が作り出す音楽はもちろん、考え方には心から尊敬している。

THE ROLLING STONES

生きているうちにお目にかかりたいとずーーーーーっと夢見ていたTHE ROLLING STONES。平均年齢70歳と、世間一般的に考えるとヨボヨボのおじいちゃんだ。

何十年ぶりにストーンズが復活!という報道が出たとき、「昔のようには歌えないだろう」「きっと持って2時間だ」などと多くのストーンズファンからは諦めの声が上がっていた。

実際にそのコンサートを観にロンドンまで渡った。

しかし、彼らのステージを目の当たりにすると「年齢など関係ない」そう思わずにはいられない。2時間どころか、約3時間に及ぶ長丁場のコンサートの間中、ひたすらステージを駆け回り何十曲も熱唱する姿は、まさにプロ。

鳥肌が立ち、興奮がおさまらない。そんな風に感じたのは、THE ROLLING STONESのコンサートがはじめてだった。人間に限界などないのだ。

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ステージ上で動き回るアーティストたちの写真をきれいに撮るのは意外と難しもので、はじめは四苦八苦していた。

コンサートの強い照明でもハレーションを起こすことなく、鮮明な写真の撮影が可能なCMOS搭載のデジカメをいくつも買ったりと、かなり出費もした。

しかし、場数を踏むことで驚くほど上達するのである。コンサートの帰りにデジカメで撮影した写真をスマホに同期し、それを見返しながら「今日もよく撮れた撮れた」とにんまりしながら翌日カメラショップへ行きプリントアウトをする。

これが楽しみで仕方がないのだ。

もうしばらくコンサートに行っていないため、きっと写真を撮り始めた当時よりもクオリティーが下がっていることが懸念される。

でもまあ、こうやって思い出を振り返られるのは実にいいことだ。

「写真撮影はやめてくださーーーい、や・め・て・く・ださぁぁぁーーーーい」と日本スタッフはやたらとうるさいが、実はそう言っているのは日本のプロモーターでアーティスト本人は「撮影OK」としているケースは多いのである。

続きはここで見られるのでアール【後編】過去のコンサートで撮影したアーティスト写真を並べてみた

 

 

生きていくのってなんでこんなに大変なのだろうか

生きていくのって大変だわ

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最近よく考えることがある。

人はなんのために生きているのだろうか、と。

混沌の時代に突入している。

よく「私たち人間は生きているんじゃない。生かされているだ」という言葉を耳にするが、正直あまりピンときていない。

人間レベルが低すぎる。

生きるために食べるのか、食べるために生きるのか。

生きるためにお金を稼ぐのか、お金を稼ぐために働くのか。

どれも間違いではないと思う。人によって目的が違って当然だ。しかし私はその答えが見えなくなっている。

はぁ、、、。

夢は現実の穴埋め

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私が中学生の頃、20歳の女性は異様なくらい大人に感じた。

けれど、いざ自分が20歳になってみると、自分が思い描いていた人物像からはだいぶかけ離れていた。

私が20歳の頃、30歳の女性がとてつもなく大人に見えた。月収40万で何不自由なく安定した生活を送り、平日は仕事に休日は趣味に没頭。さぞキラキラした生活を送っているのだろう。私は、そんな風に妄想していた。

しかし、いざ自分が30歳になってみると、絶望的なくらい自分自身が幼く感じ、想像していたものとはえらく差がある。

10年の月日が流れても、本質は全く変わっていないのだ。

私は大学や専門学校へは行かずにそのまま就職した。

数字だけを見れば社会人歴は割と長い。

だからと言って仕事がバリバリできてバンバン稼いで貯金もしっかり。老後の心配は一切なし!みたいな快適ライフを送っているわけではない。

毎日毎日プロとは一体何なのか、仕事ができるとは一体なんなのかを考えながら、きゅうりに塩をつけて食べている。

最近は、グラノーラに苺とバナナを乗せて食べるのがマイブームだ。

絶えず努力し続けなければならない。

時間を惜しまずコストを惜しまず、睡眠時間を削り、食事の時間を削り、それでも手に入れたいものがあるのだ、私には。

けれど、朝方5時にベッドに横たわり天井を見つめながらふと思う。

「生きていくのって大変だわ」「これはいつまで続くのだろう」と。

 今を全力で生きるしかないのだろうか

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結局、5年後10年後の未来の自分を造るのは今の自分であって、自分の可能性は自分で切り開くのだ。

今後の未来は、今現在の自分の行動、思考にすべてかかっているのである。

昔は努力するのが嫌いで、働くことも嫌いで、継続するこが苦手で、休日は何も考えず、ただぼーっと家でゴロゴロするのが大好きだった。

そんなグータラ生活をこよなく愛していた私だったが、ご飯を食べている時も、スーパーに向かって歩いている時も、今日は何を食べようかと献立を考えている時も、電車に乗っている時も、お風呂で髪の毛を洗っている時も。

気が付けば常に、「どうしたらもっと面白い記事を書けるのだろうか」「どうすれば長く読み続けられる良質なコンテンツを作れるのだろうか」。どうすれば、どうすればと、ずっと仕事のことばかりを考えている。

それは、何の取り柄もなく無能でたいしたスキルもない自分の無力さを毎日毎日痛感し、その現実を突き付けられる度に「負けたくない」「本物になりたい」「そこらのクソみたいなライターと同列にはなってたまるか」。そう強く感じるからだ。

老体に鞭を打ってでも、点滴を打ってでも、ニンニク注射を打ってでも頑張れるのは、適当にあしらわれ、急ぎの原稿チェックを後回しにされ、実力がなければ生き残っていけない、フリーランスという厳しい状況に置かれてはじめて、自分がいかにちっぽけな存在なのかを思い知らされたからだ。

私はもの覚えが悪いうえに、要領も悪い。

仕事ができるかできないかで言えば、明らかにできない方に分類される。

それでも、はじめたからには上を目指したい。

仕事せな、、、。 

心のナイフは己に向ける

心のナイフ

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誰でも持っている心のナイフ。

でも、そのナイフは人に向けてはいけない。大切な人には特に。

最近、私の中では「素直」がメインキーワードとなっている。

「そんなの当たり前じゃん」と思うかもしれないが、そう簡単に手に入るものでも、体や心にしみつくものではないと思う。

そう強く感じたのは、つい先日起こったある出来事がきっかけだった。

誠意がない、素直じゃない、謙虚さがない

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人は誰でも、自分の欠点を指摘されたり、間違いを注意されたり、叱られたりすると、「ちっ」と思うだろう。

思ってもいい。ただ、その次の瞬間相手にどういう対応をするのかが問題なのだ。

心の中でいくら「ちくしょう」と思っていても、それを出してはならないのだ。

なぜなら、相手は私のことを真剣に思い考え、言いたくないことを言ってくれているからだ。

普通に考えれば当然のことだが、恥ずかしながら私はそれが全くと言っていいほどできていなかった。

それを指摘と捉えるのかアドバイスだと捉えるのか、自分の受け止め方次第で相手との関係や自分の今後にさえ良くも悪くも影響してくるのだ。

私は昔から、傲慢、誠意がない、素直じゃない、と言われてきた。その時は「あっそ、だから何?」くらいにしか考えていなかったし、自分としては単なる頑固だと解釈していた。

しかし、つい先日、ある人をえらく傷付け悲しませてしまった。

それは、私がこれまで言われてきた傲慢さや誠意のない態度によって。

その時相手からは「最近、正直結構しんどい。うまくいかない気がする」と言われた。

ものすごく、めちゃくちゃショックだった。

そこまで負担をかけていたこと、自分本位の言動で振り回していたこと、相手の思いに気づかずただただ甘えていたこと。

これまで積み上げてきた信頼関係すべてを、私はめちゃくちゃにしていた。

相手の表情は未だかつて見たことがないくらいに暗く、とても悲しそうな目をしていた。

そんな顔をさせているのは私。そんな思いをさせているのも私だ。

たとえイラっとしてもそれを一旦飲み込み冷静になればいいだけなのに、私はそれができずにその時の感情を感じたままに相手にぶつけていた。まるで子供だ。

しかし、いつも決まって後悔する。「確かに言う通りだよなぁ、、、」と。

そうした自分の欠点と向き合おうともせずに生きてきたが、この出来事をきっかけに、本当に自分はこのままではいけない、大切な人を悲しませてはいけない、傷付けてはいけない、このままでは相手の心が離れてしまう、と。

何でも言えばいいってもんじゃない

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よく「何でも言い合える関係」とか言うが、自分の感情をただただ相手にぶつけることが、何でも言い合える関係ではない。

辛いときは辛いと言えて、甘えたいときは甘えられて、感謝の気持ちを伝えたいときはありがとうと言えて、自分が悪いときは素直にごめんなさいと言える。

これは、基本的で本当に単純なことで、いつもは言えるはずなのに、何か注意されたときや嫌なことがあったとき、なかなか言えなくなってしまうもの。

かと言って、言いたいことをミサイルのように相手に何発も何発も立て続けにぶち込むのは、違うのではないか。それは、何でも言い合える関係として成立していないのではないか。

むしろ、そんなものはこちらの一方的な甘えに過ぎない。

そんなことにさえも気が付かず、私はただただ相手を傷つけていた。

そんな私に対し、相手がいつもどれほどの思いで「一緒に頑張ろう」と言ってくれていたのか。今思うと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。

素直が一番の近道

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そうしたことがきっかけなのかどうかよくわからないが、誰かと会う度に「能力や経験云々ではなくて、素直さがいっちばん大事」「謙虚な姿勢があればそれで十分」と言う言葉を最近やたらと耳にする。

敏感になっているだけなのかもしれないし、単に今までは聞き流していただけなのかもしれない。

けれど、何事においても素直でいるということは、自分の成長を高める一番の近道なのだと思う。そして、それこそが相手への誠意なのだと思う。

指摘されたことに対し、反発したり突っぱねてしまうのはきっと、自分の考えが正しいと信じて疑わないからだ。心のどこかでは「もしかしたらダメ出しされるかも、、、」とビクビクしている。結果、それを見透かされる。しかもそれが図星だから、自分を否定されたと勘違いして腹を立ててしまうのだ。

なんて傲慢なんだろう、私は。

そんなくだらないことをいつまでも続けていては、そのうちに誰からも相手にされなくなり、自分の成長機会さえも逃してしまうのだ。

あまりにも悲しすぎるし、バカバカしすぎる。

30にもなって、こんなことさえわかっていなかった自分が恥ずかしい。

私は、たとえ「記事がクソすぎる」「生き残れない」「このままじゃお前は終わる」「ストーリー構築力がなさすぎる」「そんなこともできないのか」といくら言われようがフルスウィングされようが、完膚無きまでに沈められようが、正面からそのすべてを受け止める。

なぜなら、そうした姿勢こそがアドバイスをしてくれた相手への誠意だから。それに、それは必ず糧となり間違いなく自分の今後の成長に繋がる。

卑屈になっていては損をするだけ。

常に自分が置かれた状況を理解、把握し、相手の立場に立って物事を考える。それさえできていれば、お互いに成長し高め合い、よりよい関係を構築できるのではないだろうか。

もう二度と、相手を悲しませたり傷つけたりしたくない。

それに、私が不倫という先行き不透明なドロドロした関係から抜け出せたのは他でもない、この人のおかげなのだ。

時に励まし、またある時には罵倒し、そしてまたある時には幸せになってほしいと背中を押してくれる。

これまでの人生で出会ってきた人の中で、ここまで私と真剣に向き合ってくれる人ははじめてなのだ。

だからこそ、私も真剣に向き合いたいと思うし、困っている時は頼ってほしいし、苦しい時は何でも言ってほしいし、甘えられるところは甘えてほしいし、私にできることは何でもしたい。

相手にとって、私は頼りないし、アホだし、バカだし、何度も同じことを聞くし、手がかかるし、意味不明な発言ばかりで困らせるどうしようもない存在だと思うけど、それでも私は、彼のことを心から大切に思う。

私の鬼畜ぶりにゲロを吐くことはこれから何度もあるだろうけど、相手が言ってくれることは正面から受け止めきちんと向き合う。今は心の底からそう感じている。

トラウマにさせてごめんなさい。今まで本当に本当にごめんね。

けれど、もうナイフはないから大丈夫。一緒に頑張ろう。

「肌の曲がり角」のさらに角を曲がる

老けってこっっっわ

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仕事が忙しくなり始めた数ヵ月前。

朝は5時に起きてひたすら原稿を書き、忙しさにかまけてろくにご飯も食べず、気づけば夜23時まで水分しか摂っていないという状況。

何か食べるかぁぁぁと思い冷蔵庫を開けるとスッカラカン。あぁなるほどねー。

食事を諦め仕事を再開し、時計を見ると夜中の3時。お風呂に入ってシャワーを浴びて髪の毛を乾かして、、、なんてしてたら朝方4時。

とりあえず寝てまた5時に起きる。

そんな不規則な生活を続けていたら、顎に巨大な吹き出物ができ始めた。

「何これーうわー」

でもそのまま放置。どんどん悪化し、治るどころか1個目を軸にどんどん増えだした。

この時点で1ヵ月が経過していた。さすがにまずいと感じ、皮膚科に駆け込んだ。

花粉の時期だから

「多いのよぉぉぉ。特に今の時期ぃぃぃ。花粉」

「え、そうなんですか?」

「ほらぁ花粉もそうだし、あとマフラァァァー??首に当たるじゃなぁい」

「はぁ、、、(外出してないんだけど。マフラーしてないんだけど)」

「だから今の時期は多いのよぉぉ肌荒れ」

「即効でよくなるやつください。お願いします」

どう考えてもビタミン不足だろ、不摂生な生活のせいだろ。

しかし、自分に原因があるのは明らかだったため、「いやでもね、、、」と必死に説明を続ける先生の話の腰を折るわけにはいかない。

あまり記憶にないが、ただひたすら「なるほど」を連呼し、とりあえず塗り薬をゲット。

即効性はないものの、確かに快方には向かっていたし肌の調子も良くなったのでこれを機に生活習慣を見直すことに。

共存という選択

食生活も見直して、睡眠時間もきちんと摂るようにしたら、どんどん吹き出物は良くなっていった。

しかし、1個治ればまた1個、さらに1個、、、。なぜ完治しない?どうした?

吹き出物ができる度に、鏡でそれを見る度に絶望していたが、最近はデフォルトになりつつある。

常時1個は顎にある。オンザ顎。

私はきっと、死ぬまでこいつと共存していくのだろう。

よく「お肌の曲がり角」とかいうけど、この先何回その角とやらを曲がればいいのだろうか。

若い頃肌には自信があったが、最近はほんのちょっと睡眠不足が続いただけで吹き出物が顔を出す。

その理由は実にシンプルなものだった。考えるまでもない。

もう若くないのだ。

脳内旅行の後に待ち受けていたもの

脳内ならどこへでも行ける

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いつかの記事で、最近は全然海外旅行に行っていないから行きたいなぁなんていうことをぼやいた。

その結果、無性に海外旅行に行きたい。飛行機に乗りたい。機内食を食べたいという衝動に駆られてしまい、つい先日脳内旅行を試みた。

過去の旅行を回想

まず最初の行き先は台湾。1ヵ月間の滞在中、食べ歩きをしまくった日々を思い返してみる。

台北、台中、台南、台東の蛋餅すべてを網羅したが、台中のどこかで食べたどこかの店の蛋餅がダントツだったなぁ、あそこの出店のパパイヤジュースまずかったなぁ、あそこの夜市で買ったiPhoneケースすぐに壊れたなぁとか。

もっと旅行気分を味わいたくなり、押入れの奥にしまったガイドブックを引っ張り出し、ページをめくる。

ヨーロッパもいいなぁ、アメリカもいいなぁ、いやぁオーストラリアもいいなぁ。

迷った結果私が向かった先は、カナダ。

以前、アメリカーカナダ間を車で横断し国境を越えたことがある。当時所持していたWi-Fiはアメリカ国内でしか使えなかったため、頼みの綱はサービスエリアのFreeWi-Fiのみ。

あそこのカップケーキがめちゃくちゃおいしかったなぁ、コーヒーはくそまずかったなぁ、食っちゃ寝の繰り返しで体重が5キロも増えたなぁとか。

真夜中に国境を越えたがために検査員に怪しい表情をされたり、迷子になってよくわからない森の中に迷い込んだり、色々あったなぁ。

そういえば、何回かスピード違反で止められたことがある。

こちらがいくら弁解しても、まったく聞く耳を持たない。そして、警察官はみな口を揃えたこういうのだ。「これが僕の仕事だ」。

そんなんわかっとーよ。まずはこちらの言い分も聞いてくれ。

そんな風に思ったが、きちんと話せばこちらの状況もきちんと理解してくれる。そのうちに「今回は仕方ないからいいよ。ただ、スピードの出し過ぎは気をつけてよ。じゃ、いい旅をね」。なんて寛大な人たちなんだ。

私も見習わねば。

その後、パトカーが通るたびにビビっていたことは今も忘れはしない。

今日はどこへ行こう

こうして妄想という名の脳内旅行を終えて戻ってきたら、時刻は朝の4時。

仕事を完全に放置していた私は、気づけば3時間近く妄想の旅に出ていたのだ。

沖縄もしくは韓国に行けるくらいのフライト時間に匹敵する。

けれど、私の目の前にあるのは、ノートパソコンと「日本語の正しい表記と用語の辞典」と書かれた分厚い本と、タスクまみれのスケジュール。

仕事をせねば。脳内旅行にうつつを抜かしている場合ではない。家を建てるのだ。

あ、押入れの中もぐっちゃぐちゃ。そろそろ部屋の掃除もしないと、、、。

 

 

不倫は単なる不倫なのか?それとも純愛なのか?

不倫という名の無法地帯

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テレビや雑誌で取り沙汰されている、度重なる芸能人たちの不倫問題。

そうした不倫報道を観ては、「不倫なんてする奴の気が知れない」「不倫なんて人として最低な行為」「自分は絶対にそんなことするわけがない」そんな風に思っていた。

 

しかし、気づけばその不倫に片足を突っ込んでいた。むしろ、どっぷりはまっていたかもしれない。そこに至った詳しい経緯については割愛します。

 

恋は盲目とはよく言ったもので、私にとって既婚者男性との不倫はまさに恋だった。ひょんなことから意気投合しホテルで一夜を過ごしてからは、月に1度、多い時には毎週会ってセックスをしていた。

 

割り切った関係で続けていけばいいと思っていたし、それ以上の何かを求めようとも思っていなかった。その時は。

疑似恋愛を楽しんでいるだけ

相手が妻帯者であることを知っていながら、あれほどまでに軽蔑していた不倫に足を踏み入れてしまったのはなぜか。

 

それはきっと、刺激的な気分を味わえたからなのかもしれない。長らく恋愛から遠ざかっていた私にとって不倫とは、じつに刺激的だった。

 

好きになってはいけない、誰にもこの関係を知られてはいけない、そうしたリスクがあるからこそ、余計に好きな気持ちが強くなるのかもしれない。

 

人間とは不思議なもので、ダメと言われると欲しくなる。反対にあげると言われると、いらなくなる。不倫はまさに前者のケース。

 

手が届かないものだからこそ、何としてでもどんな手を使ってでも手に入れたくなる。

 

これこそが、不倫の最大の落とし穴なのかもしれない。

本気とは何か?

私にとっては恋でも、不倫相手にとっては単なる遊びだったと思う。

 

既婚男性は不倫相手の女性に対し「もっと早く出会えれば良かった」「離婚したら一緒になろう」「○○と結婚したい」などと、今後の二人の未来をほのめかすような、本気を匂わせるようなセリフを吐く。

 

本気で相手を好きになっていた私は、相手が何気なく放つこれらの言葉を真に受け、それを本気だと勘違いしていた。

 

不倫する男性というのは大概、「家庭がうまくいっていない」「嫁との関係は完全に冷え切っている」「子供がいなかったら離婚している」などと、伴侶との間にもうは愛はない的な発言をする。

 

実際に私の場合はそうだった。当時の不倫相手は「嫁とは○カ月もセックスレス」「束縛が激しくて鬱陶しい」「一緒にいると気が滅入る」などと家庭崩壊寸前的な含みをもたせたことばかり言っていた。

 

つまり、不倫をする男性は、少なからず一人の男性として見られたい、家庭では得られない癒しをどこか別の場所に求めているのかもしれない。

先行き不透明な不倫関係

お互いに割り切った関係。家庭のことに口出しはしないし、今以上の関係を求めることなど絶対にない。ありえない。そう思っていたはずなのに、わかっていたはずなのに、気づけばどんどん好きになっていた。

 

月に1度では物足りず、週に1度ご飯を食べに行き、顔を見られるだけで素直に嬉しかったし、自分こそが彼にふさわしい人材だと感じるようになっていた。

 

もちろんそれは、彼からの「嫁も子供も捨てて○○と結婚したい」という言葉を信じて疑わなかったからだ。今考えるとそんな虫のいい話があるわけないし、そんな軽はずみな言葉を信じていた自分のバカさ加減に心底呆れてしまう。

 

「結婚したい」と言ったかと思えば、「付き合えることはない」などと支離滅裂なことを言い、繰り返される彼のこうした発言に一喜一憂し、自分に言い聞かせる。「やっぱり一緒になれることはないのだ」と。

 

当時の私は、相手に対して運命めいたものを感じていたし、いずれは一緒になれる日が来るのではないか、、、心のどこかで僅かな希望を持っていた。

 

もし本当にこれを本気の恋だと確信し、私と一緒になる覚悟があったのだとすれば、嫁とはとっくに別れているはずだ。

発言に一貫性のない相手に対して、これ以上無駄な時間をかけても最終的には自分が傷付くだけ。そう感じるようになった私は、つい先日相手に別れを切り出したのである。

始まりは終わり

家に来てからもどこか落ち着かない様子の不倫相手。明らかに様子がおかしい。そのうちに「しばらく会いに来れなくなるかも。嫁が、妊娠しちゃったんだよね、、、」と残し気味に切れ味悪く言い出した。

なるほど、なんだかんだ嫁とはラブラブだったパターン。

だったとしても「できちゃった」とはなんぞや。子供ができるメカニズムくらい、知っているのではなかろうか。

 

正直、心のどこかでこの展開が予想できていたからあまり驚きはしなかった。

ただ、このまま自分が捨てられるパターンだけはどうしても阻止したいと思い、「今日呼んだのは、もうこれで会うの最後にしたいから。このまま発展性のない不毛な関係をダラダラ続けていくつもりはない。もう終わりにしよう」と告げた。

 

これに対し相手はうんともすんとも言わず、「発展性はないよね」とだけおうむ返し。

「俺のこと飽きたの?」「あれだけかっこいいって言ってくれたのに?」「嘘だったの?」「もう興味ないの?」

 

え、、、、。

「うん、もういらない。飽きた。興味ない。手に入るのであれば全力で取りに行くけど、手に入らないものはいらない。だからもう終わり」と、精一杯の強がりを見せるしかなかった。なぜなら、もう終わりは見えていたしこの関係を続けた先に待っているのは、身も心もボロボロになった救いようのない自分。

 

本当はすごく好きだったしできることなら一緒にいたかったけど、それを伝えたところで嫁と離婚するわけでも、私と添い遂げるわけでもない。なんの保証もない。

 

プライドが高い私は、ただただ自分が惨めになるのが嫌で、自分の気持ちを悟られるのが嫌で、ひたすらうその言葉を口から垂れ流した。

 

「本当、ドライな女だね」

 

全然女心を分かってない。こちらがどれだけ心を鬼にして好きな相手への気持ちを振り払い、後腐れなく別れられる環境を提供しようと必死になっているのか、全然分かってない。

 

何なんだこいつは。そんなんだから、「別れるなら飛び降りる」とか言い出す、メンヘラクソ女みたいな嫁に引っかかるのではなかろうか。

 

むしろ、そんなクソな嫁にハンドルを握られているのに、外ではすました顔してできる感を漂わせ、家に帰れば嫁の機嫌をとり、普通にやることやってるんだって想像したら、肋骨をバキバキに折って息の根をとめてやろうかと思った。

 

不倫相手は意外と女々しい部分がいっぱいあり、それは最後の別れ際で顕著に現れた。

 

「じゃあ帰ろうかな(相手)」

「分かった(私)」

「えぇ何で、ひどい(相手)」

え、、、、?

 

挙句の果てには「別の男の人とやるの?」とか云い出す始末。この先私がどんな男性と出会い、どんな関係を持とうが彼には関係ない。嫁とうまくいっていないと言いながら、実はちゃっかり子作りに励んでいたのに、よくそんなことが言えたものだ。

 

「何か仕事で手伝えることがあれば連絡して」と言い出す場面も。連絡をとる理由がないし、またいつか落ち着いたらこの関係を復活させようとでも思っているのだろうか。

なんて、、、なんて自分勝手な男なんだ、、、。

 

とは思っても、一度は本気で好きになった相手。そんな簡単に割り切れるわけもなく、思い出すたびに辛くはなる。けれど、前に進まなければならない。彼の痕跡は跡形も残らず削除した。もう二度と、連絡をとることも会うこともない。

 

そしてこの時私は、私を選ばなかったことを後悔する日が来るくらい、立派な女性に、立派なライターになる。そう固く心に誓った。

 なぜ不倫はこんなにも辛いのか

普通の恋人同士であっても、価値観の違いやどちらかの浮気、すれ違いなど様々なことが原因で破局という悲しいパターンを迎える場合がある。

 

その原因が嘘であろうが真実であろうが、ある程度は諦めがつく。

 

しかし、不倫の場合は違う。もし本気で好きになったとしても、絶対にゴールなどない。中には、そのまま一生添い遂げる人たちもいるだろう。そんなの奇跡でも起こらない限り、あり得ない。それこそ、出逢うべくして出逢った運命の出逢いだと言える。

 

結ばれる保障もない、むしろ嫁にバレたら、周囲にバレたら関係はすぐに崩壊する。

 

ゴールがない、お互い好きなのに報われることはない。これこそが、不倫が辛いと言われている所以なのだと思う。

不倫の先にあるものとは

いざ終わりを迎えてみると、意外とあっけないものだ。それに、意外と女々しいクソ野郎だった。恐らく、それこそが相手の真の姿なのではないだろうか。

嫌だ嫌だと言いつつも、嫁と子供を捨てる覚悟もなければ、不倫相手と一緒になる勇気もない。

家庭にないものを不倫相手に求め、不倫相手にないものを家庭に求める。

 

嫁との関係を続けつつも不倫相手とも良好な関係をキープしていたい。そんな都合のいい話、この世には存在しない。もしあるのだとしたら、それは不倫相手の中にのみ存在する。

 

不倫を続けた末に待っているもの、それは残酷な現実だけ。不倫は幻想だ。

 

前に誰かがこんなことを言っていた。「昔真面目だった人ほど、歳をとってから女に手を出す。反対に昔遊んできた人は、そこらの女に簡単に手をださないし見向きもしない」と。

 

確かにその通りだ。元不倫相手は学生時代相当真面目だったようで、今の嫁がはじめての相手だったらしい。

 

酔った勢いで一晩を過ごし翌日「責任とれ」と交際を迫られあえなく受け入れる。別れを切り出す度に「別れるなら死ぬ!」と叫びながらベランダや階段から自殺未遂を繰り返していたようだ。

 

そんな女に引っ張られて別れを切り出せないまま、できちゃった結婚をし、メンヘラな嫁は現在妊娠中という状況。

 

人生とは、結婚とは、愛とは、幸せとは、自立とは一体、、、?

不倫は幻想

人生初の不倫を経験し唯一得たものがある。それは、理性をコントロールする力。

 

好きになってはいけない、本気になってはいけない、家庭のことに口出ししてはいけない、予定を確認してはいけない、連絡をしてはいけない、好きな気持ちを伝てはいけない、会いたいと言ってはいけない、、、など。

 

常に相手の状況を考慮し、置かれた立場を考えて行動する。何かと制約が多い不倫においては、いかに自分の理性をコントロールできるかどうか、というか力が試される。そして、そのコントロールする力が身につくだけではなく、スキルとして積み上げられていく。

 

世間的には許されない行為である不倫は実は、普通の恋愛よりもずっとずっと、純愛に近いのかもしれない。